吉岡 由美子 Yumiko Yoshioka Berlin
”アリアドーネの會” 創立メンバーとして、1974年から81年まで、日本およびヨーロッパで活動。
その当時の芸名はミゼール花岡だった。
1978年パリにて、室伏鴻、カルロッタ池田の演出で出演した "最後の楽園" (Dernier Eden) は、
劇場における海外で初めての舞踏公演となった。
1981年には、作品 “ツァラトゥストラ“ をヨーロッパ各地で 一年に渡り160回以上公演。
1988年から94年まで、”tatoeba- THEATRE DANSE GROTESQUE" のメンバーとして、関美奈子、デルタライと共にベルリンを拠点に活動。
数多くの海外公演、ワークショップ・プロジェクトを手がける。
1994年、美術家 Joachim Manger、音楽家 Zam Johnson と共に、TEN PEN CHii art laborを創立。
肉体、音楽、インスタレーションとの共同作業を中心に、実験的な作品、パーフォーマンスを創作し続け、美術館での上演も多数。
“Body Resonance 共振する肉体“というタイトルの彼女のワークショップは、アジア、ヨーロッパ、北米、南米各地で繰り広げられ、リピーターも多い。
また、旧東ドイツに位置するブルーリン城(国際アートリサーチセンター)にて、
1995年から、4年に一回、デルタ・ライと共に “eX..it! 舞踏交流フェスティバル” を主催し、
100名以上の参加者を集める祝祭空間を創出している。
short version 吉岡由美子 (舞踏家)
”アリアドーネの會” 創立メンバーとして、1974年から81年まで、日本およびヨーロッパで活動。
1978年パリにて、室伏鴻、カルロッタ池田の演出で出演した "最後の楽園" (Dernier Eden) は、
劇場における海外で初めての舞踏公演となった。
1988年から94年まで、”tatoeba- THEATRE DANSE GROTESQUE" のメンバーとして、関美奈子、デルタライと共にベルリンを拠点に活動。
数多くの海外公演、ワークショップ・プロジェクトを手がける。
1994年、美術家 Joachim Manger、音楽家 Zam Johnson と共に、TEN PEN CHii art laborを創立。
肉体、音楽、インスタレーションとの共同作業を中心に、実験的な作品、パーフォーマンスを創作し続け、美術館での上演も多数。
また、旧東ドイツに位置するブルーリン城(国際アートリサーチセンター)にて、
1995年から、4年に一回、デルタ・ライと共に “eX..it! 舞踏交流フェスティバル” を主催し、
100名以上の参加者を集める祝祭空間を創出している。